Sweet scents





「探!」
やたら元気が良い声に、ベランダにいた白馬は苦笑しながら見下ろした。ジーンズに半袖、野球帽を被って笑顔で見上げている少女と目が合う。…自分をそんな風に呼ぶ人物は、一人しかいなかった。
「…、宿題は自分で終わらせないと意味がないよ」
そのセリフに、がぷうっと頬を膨らませて言い返した。
「今追い込みしてるトコ!ちゃんと自分でやるよ。ね、今ちょっと出てこられる?」
言って、くいくいっと人差し指で下を指す。
「…わかった、すぐ行くよ」
の急な呼び出しは、今に始まったことではない。それこそ、幼稚園に入る前からしょっちゅうだった。
「坊ちゃん、どちらへ?」
と会ってくる」
それだけ答え、白馬は靴を引っかけて飛び出した。





「…で、どこまで連れていく気だい…?」
いい加減うんざりとした声に、は仕方なく振り向いてまた同じ台詞を口にした。
「あと少しだってば」
「君の“あと少し”の基準を教えてもらいたいな」
あと少し、そう言い続けてもうどれだけ時間がたっただろう。夏の終わりとはいえ、まだ陽射しはギラギラと照りつけている。蝉も我こそは王者なり、と言わんばかりの勢いで鳴いていた。
「車を出してもらった方が良かったかな」
へたりこんで根を上げた白馬に、はつかつかと歩み寄った。
「ほら探っ、しっかりして!全く坊ちゃん体質なんだからー」
そう言って、ぽふっと白馬の頭に帽子を乗せる。
「……?」
が今まで被っていた、野球帽だった。
「貸してあげるから!スタンダップ!」
「…ありがとう」
どう考えても自分には似合っていなかったが、の好意に素直に甘えることにした。…帽子から、微かに甘い香りがする。の使っているシャンプーの匂いかもしれない。
(…って、何を考えているんだ僕は…)
軽く首を振って、白馬はのあとについて再び歩きだした。





「ここは…」
表にかけられた“黒羽”の表札に、目をぱちくりさせる。ありきたりな名字でもないし、なにより玄関の前でにこにこと笑っている青子が、ここが誰の家であるかを物語っていた。
「ごめーん青子!探ってばすぐへたりこむんだもん」
「気にしないでー、青子もさっき着いたばっかりだから!じゃあ白馬くんが先頭で入ってね」
言いながら、ぐいぐい背中を押され白馬は戸惑った。
「…何があるんだ?」
それにきょとんとしたのは、青子である。
「…、白馬くんに何も話してないの?」
呆れたように振り返りつつ言った青子に、は苦笑しながら言った。
「だって、こういうのってドッキリのほうが楽しくない?」
「あ、そっか!」
一人わけがわからず立ち尽くしていた白馬を、今度は二人がかりで押し込む。
「さ、さ、騙されたと思って!」
「遠慮しなくていいよ」
「わ、わかったよ…」
そして、ドアノブに手をかけたその瞬間。

パァアンッ!!

「うわあっ!?」
ドアがぶわっと膨らんで破裂し、紙吹雪が乱舞した。
「おせーんだよ!」
その中からひょい、と顔を覗かせたのは、予想に違わず黒羽快斗その人だった。
「な…な…」
口をぱくぱくさせてへたりこんでいる白馬を、三人で囲み込む。

「「誕生日おめでとー!!」」

ぽんっ!ぽぽんっ!!

と青子の声に合わせ、白馬の頭の上――正確には帽子の上だが――に色とりどりの花が咲いた。
「……え?」
誕生日、おめでとう?
「探、やっぱり忘れてたでしょ」
が苦笑しながら言うと、青子が後を続ける。
「今日はね、みんなで白馬くんの誕生日パーティーしようと思って!」
にっこりと、二人に満面の笑みで見つめられ、ようやく理解した。…そう、今日は自分の誕生日だった。
「仕方ねーから、オレも祝ってやるよ」
言いながら、快斗が白馬の帽子をひょいと取り上げると、そこからばさばさと鳩が飛び立った。足には「HAPPY BIRTHDAY」と書いた幕をぶら下げている。
「うっわー、黒羽くんすごいね!!」
が感嘆の声を上げると、快斗が照れくさそうに笑った。
「いやー、それほどでもあるけどな」
「…褒めるべきじゃなかったかな」
それを見て、白馬は自分でも何故かはわからなかったが、妙にムッときて帽子を取り上げた。
「祝ってくれるんだろう?せいぜい期待はずれにならないようにしてくれよ」
「てめぇ…」
剣呑とした雰囲気になりかけ、慌ててと青子が仲裁に入る。
「白馬くんらしいじゃん!さ、さ、レッツゴー!」
「探もレッツゴー!」
ばたん、とドアが閉められ、階段を昇るばたばたという足音が消えた後。…破裂音やら笑い声やら、たまに悲鳴も混じっていたが…黒羽家は、しばらくの間賑やかな騒音を響かせていた。





「あー楽しかったー!」
日が沈む頃、ようやく白馬とは帰路についた。
「ね、探、楽しかったね!」
「ああ…」
快斗のマジックの餌食となり、頭から水をかぶったり耳から煙が出たり、服の中から七面鳥が飛び立ったりしたせいで、白馬は全身から疲労をにじませて言った。
(くそ…いつか仕返しを…)
何をしてやろうかと悶々と考えていると、が心配そうに覗きこんできた。
「…楽しくなかった?」
慌てて2、3歩飛びすさり、ぶんぶんと首を横に振る。
「違う、楽しくなかったわけじゃないんだ!…すごく楽しかったよ、ありがとう」
実際、まさかこんな誕生日パーティーをしてもらえるとは思っていなかったから驚いたし、嬉しかった。それは事実だ。
「…そっか、良かった!」
言って、がにっと笑う。夕陽を正面から受けていたわけでもないのに、まぶしさを感じて軽く目を細めた。
「……」
「あ、そうだ!」
自分でも何を言いたかったのかわからない。だが、が急に出した声で、白馬のセリフは遮られた。
「これ」
ぽふっ、とした感触に頭上に手をやれば、行きに白馬がかぶっていた、の野球帽だった。
「……?」
意図が掴めずにいると、すぐにが言葉を続ける。
「これ、私からのプレゼント。誕生日おめでとう、探」
…かぁっ、と頬が熱くなるのを感じる。…嬉しい。なにか言いようのない喜びが、全身を駆け抜けた。
「あ…ありが、とう」
…ふわりと香る、甘い匂い。更に紅潮して火照った顔を、つばを下げて隠す。夕陽が誤魔化してくれることを祈った。
「えへへ、喜んでくれて良かった」
…だから。
の顔もまた火照っていたことに、白馬は気付かなかった。くるりと回って白馬に背を向け、ぐっと伸びをしてから叫ぶ。
「うーっし、宿題頑張るぞー!」
それに、苦笑して白馬が応じた。
、遅いよそれ」
「うるさーいっ!」
…夕陽を浴びた二人の影が、どこまでも長く長く伸びていた。




2004.8.29
HAPPY BIRTHDAY SAGURU HAKUBA !!


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