「…え?中尉、今なんて…」 驚愕に目を見開いたハボックらを前に、ホークアイは冷静に繰り返した。 「…だから」 一息ついて、続ける。 「マスタング大佐は、マスタング伍長として北方へ行かれました。今後の指揮は、代わりの者が来るまで私が執ります」 言って、くるりと背を向ける。ドアを開けて出ようとしたところで、後ろから声がかかった。 「け…けどっ…中尉はそれで…!」 「…先に失礼するわ」 ばたん、といささか力強く扉を閉め、言葉の続きを強制的に遮断した。 (中尉はそれで…!) 「…いいわけ、ないじゃない」 私が忠誠を誓っているのは、今も昔も…無論、これからもただ一人。他の人間の元で働く気など、さらさらない。 …けれど。 「…今は、ただ」 待つことしか、できないから。 「な…」 ばたん、がたんと賑やかな音を立てながら荷造りしているロイを前に、ホークアイは絶句した。…今、なんと言ったのだ? 「た…大佐…」 「もう大佐ではない。伍長だよ」 とんとん、と自分の肩を示しながら言う。確かにそこからは、星が、線がいくつも消えていた。 「どうして…そんな…!」 『伍長として北方の警備をすることになった』 ロイの突然の告白は、ホークアイを混乱と動揺の中につき落とした。 「………っ、」 言いたい言葉は、山のようにある。だが、そのどれもが、形を持って声になってくれないのだ。 (…それに) 私は、わかっているはずだ。“彼”の性格も、本質も。…つまり、言い出したら聞かないと。 「…っ、わかりまし、た…」 絞り出すような声で言い、両手を血が滲むほどに強く握りしめる。ともすれば弾け飛びそうになる何かを抑えるには、こうしているしかなかった。 「…中尉。」 見かねたロイが言葉をかけると、ホークアイが毅然として返す。 「私に、貴方の何かを拘束する権利はありません。…それでは、」 失礼します。 そう声をかけようとして、思いとどまった。 「…いってらっしゃい、大佐。」 「…中、!」 ばたんっ。 帰ってくることを前提とした送り言葉で、言い逃げる。卑怯だとは思うが、彼の返答を待つほどの余裕はない。 「…決めたじゃない。あの人に、ついていくと」 彼もまた、それを許してくれた。 (…そう、だから今は、ただ。) 信じて待てばいい。彼が、自分なりの決着をつけるその日まで、この場所を守っていよう。今まで築き上げた絆は、信頼は…そんなに脆いものではないと、信じたいから。 「お待ちしています…マスタング大佐。」 いつも、いつでも、いつまでも。 空が黒い。建物が燃えて、黒煙が上がっているせいだ。 耳が痛い。あちこちで銃撃戦が行われているせいだ。 絶望的状況でも、ホークアイは何に縋るでも、祈るでもなく、ただ淡々と敵を撃っていった。ロイはいない。もう、あれから三年もの月日が流れたのだ。 (こんなに…追いつめられた状況なのに、) 恐怖も畏怖もない。敵を撃つことにのみ集中できたのは、そう、 パチンッ!! 懐かしい響きと共に、目の前が紅蓮の炎で燃え上がる。 ―――…予感が、あったからだ。 突然現れたその男は、階級なんて無視して次々に指示を出していった。皆が嬉しそうに敬礼しているのが、なんだか妙に腹立たしい。…みんな、みんなが待っていたというのに。あなたはどれだけの人を焦らしたと思っているのか。 (…待てと言われた覚えはないわ。自分が勝手にしたことだもの) 一歩ずつこちらへ歩み寄ってくる彼、…ロイ・マスタングを見て、悔しかったけれど。やっぱり、自然と口元が上がってしまうのだ。 ざっ。 目の前に立った彼に言うべきことは、ただ一つ。背筋を伸ばして、敬礼をして。 「…お待ちしておりました」 三年分の想いを込めて。 ただ黙って頷いた彼を見て、私はやはりこう思うのだ。 どこまでもついていこう、と。 いつも、いつでも、いつまでも。 ---------------------------------------------------------------- BACK |