『今の私は、…赤いの、嫌いじゃないですよ?』
優しい声。
預けられた背中。
…それを守るためなら、俺は。





桜小道で、花の雨。







「………んうー」
カーテンの隙間から差し込む陽射しは、やわらかい。もぞもぞと身じろぎをしていると、ほのかに珈琲の香りが漂ってきた。
「…あれ?」
それに違和感を覚え、は慌てて身を起こした。大きなシャツを一枚着ただけで、ひょいとキッチンを覗き込む。
「…おはよう。」
見慣れた背中が、珈琲カップを片手に振り返る。
「おはよー…って、あれ?…秀一さん、今日は朝早くから仕事だって……」
無言で、壁にかかった時計をカップで示す。それにしたがって目線を動かし、は唖然とした。
「……に、じ………?」
「仕事はもう片付けて帰ってきたよ」
いくら休日とはいえ、寝すぎである。掃除洗濯炊事買物、とあらゆる単語で頭の中が埋め尽くされた。
「せ…洗濯っ…!いや今からじゃ乾かない!とにかく買い物に…!」
慌てて着替えに戻ろうとして、かくんと力が抜ける。床にキスする直前に、赤井がひょいとを抱え上げた。
「…大丈夫か?」
「しゅ、秀一さ……」
「昨日は…そんなに、無理をさせたつもりはなかったんだが」
「!!!」
の頬が、一気に耳まで朱に染まる。
「下ろしてください!下ろして!下ろせー!!」
「暴れるな、響くだろう」
を抱え上げたまま、再び寝室へと戻る。ベッドにとさりと横たえてから、赤井は笑みを含んだ声で言った。
「このまま…といきたいところだが、」
「いきませんっ!!」
「……わかっているさ」
の渾身の蹴りを片手で抑え込み、くつくつと笑って言う。
「今日は、無理をしなくていい。仕事も予想外に速く片付いたことだし、たまにはのんびりしよう」
「のんびり…?」
くしゃり、との頭を撫ぜる。…すっかり板についたその仕草は、赤井がへの愛情を示すものだ。
「散歩にでも行こう。待ってるから、着替えて来い」





「…うわー!すごい……!」
「話には聞いていたが…これほどとは思わなかったな」

雪が果て、空は晴れ。降り来るそれは、花の雨。

「ジョディさん、いい場所知ってますね!」
「……そうだな」
(どうせ、入念に調べた上でのことだろうがな)
は、なんだかんだで今もジョディに可愛がられている。あの不吉極まりないマンションを引き払い、二人でひとつの家に住むようになってからもちょくちょく顔を出していた。
「可愛いを泣かせたら承知しないわよ?」
…というのが、最近の彼女の口癖になっている。
、あまりはしゃぐな。転ぶだろう」
「…秀一さんは、あまりにも私を子ども扱いしすぎではないですか」
憮然とした表情で言われ、赤井が苦笑する。
「子ども扱いしてるんじゃない。…心配してるだけだ。大体、子どもだと思っていたらあんな……」
「わー!わー!わー!!」
その先を予見して、が赤井の口を塞ぐ。…赤井はその手をそっと外すと、そのまま口付けを落とした。
「ひゃ、」
「…子どもだと思っていないと、わかってもらえたかな」
「十分わかりましたっ!!」
真っ赤になって手を引くと、そのまますたすたと早足で歩き出す。
(全く……)
いつになっても、慣れてくれない。その様がまた愛らしく、つい手を出してしまうのだが…やりすぎると、がジョディに泣きついてしまう。ジョディ伝いで怒られるのはもう、勘弁してもらいたかった。
「秀一さんっ!」
「………どうした」
数十メートル先で、花の雨の中。
佇むは綺麗だったが、顔はそれにそぐわぬ厳しい表情だ。
「私、まだ…まだ未熟者だし、ガキっぽいし、…だけど」
「ああ」
ゆっくり歩を進めながら、先を促す。
「だけど、ね。私、秀一さんのこと……」
「…ああ」
す、と。
目の前に来た赤井の目を睨むように見つめながら、続ける。
「……大好き、です。だから、これからも、一緒に…いたいと、思っていますっ…」
「………ああ。知ってる」
「知っ…!」
かああああ、と真っ赤になったの頭を、赤井は微笑を浮かべてゆっくりと撫でた。
「知ってる。…今更嫌だと言っても、逃がすつもりもない。」
(…ああ、そうだ。)
前にも一度、思ったことがある。…今、自分に向けられているこの優しい微笑を、瞳を、私は知っていると。
ずっとずっと前から、知っているのだと。
「逃げません、よ。」
だって私は、ずっと前から知っていたのだから。
「安心したよ。」
…俺は、ずっと前から君が気付いてくれるのを待っていたのだから。

遠回りしたね、なんて。
笑っていえるようになるのは、もう少し先だけど。

桜小道で、二人手をつないで。
頭上に降りそそぐのは、あたたかな花の雨。 



----------------------------------------------------------------
BACK