「さっむー…」
マフラーを口元まで巻きつけ、少しでも暖をとろうと試みる。…呼吸をするだけで、肺が痛いような気すらする。本当に今日は、寒い。
(…でも、もう春一番吹いたっていってたよね)
頭上を見上げる。重く垂れ込めた空は、とてもではないが「春」などという暖かな季節には縁遠い。
「…春、か。」
春は始まりの季節。春は出会いの季節。

…春は、別れの季節。





どんなに明日が見えなくても






「えええ、今日はもう直帰ですか!?」
『そうだ。一件予約が取り消しになってな。そのまま帰って構わないぞ』
「はあ…」
終話ボタンを押し、はため息をついた。…直帰、か。
(まだ家には帰りたくないなあ)
近くのベンチに、どさりと腰を下ろす。書類が入って重いカバンは足元に置き、ぐっと空を見上げる。…見上げて、驚いた。
「ゆ…き……」
降り始めの瞬間を見たのは、初めてかもしれない。
けれど、空から降るそれは…なんだか、あまり「きれい」とも一概には言えないものだった。
(冬の終わりだから、かな)
なんとなく、そんなことを思う。
それでもそこからは動く気になれず、は視線を落とした。…あの日もこんな、雪の日だった。


いつまでも一緒にいたい、と。
強く願ってしまうのは、きっとその願いが叶わないことを知っていたから。
明日が見えずに不安な夜も、そばにいるといつだって、ホッとしてた。
『信じてるよ。』
見送ったあの日、たった一言。
それを言うだけで限界だった私に、あの人は珍しく笑みを浮かべた。
それっきり、何を言うでもなく行ってしまったけれど。
…その笑みだけを、ずっとずっと信じていたんだ。


(…あの頃はまだ、携帯電話なんて普及してなかったし)
遠距離恋愛、などといっても小さな機械ひとつで簡単に連絡を取り合える、便利な今とは違う。ましてや相手が海外に飛んでしまったら、連絡なんてエアメールか国際電話くらいしか手段がなかった。…どちらも、相手が今どこにいるかを知っていることが前提になるため、結局手段は存在しなかったのだが。わかっている、彼の仕事が特殊だということくらいは。そうは思っていても、やはりつらい夜はあって。
再会の約束なんてしてなくて、それでもやっぱり、…どんなに明日が見えなくても、胸の中には彼の優しい笑顔があって。
あれから私は、何か変わっただろうか。…自慢できることなんてまだ何ひとつ、ないかもしれない。しれないけれど、それでも自分なりに精一杯頑張ってはいるつもりだ。
「……寒。」
道行く人の数は減り、数少ない通行人も皆傘を差している。ぼんやりベンチに座っているは、異質に見えるかもしれない。
それでもやっぱり、雪の降る日は彼のことで頭が一杯になってしまうから。
「帰りたくない…な……」
部屋で一人、座っているのは嫌だ。
とりあえず缶コーヒーでも買って温まろうか、と腰を上げようとすると、ふっと目の前が暗くなった。…人が、立ったのだ。
「え?」
なに、と言い掛けて。
わけがわからない内に、の体は強く抱きしめられていた。
「!!?え、な、ちょ……」
頭は混乱していても、体は落ち着いていた。…このにおいを、この腕を、このあたたかさを、知っていたから。
「しゅ…秀一……?」
「ただいま。」
頭の上から降ってくる、落ち着いた優しい声。…片時も忘れなかった、あの声。
「秀一!」
がばっ、と上を見上げると、少しやつれたような、疲れたような…それでも最後に見たのと変わらない笑顔が、そこにはあった。
「…何で自主的に雪だるまになっているんだ、お前は。真っ白だぞ」
頭の上に積もった雪をはらって、肩の上もそうして。
まるで昨日にでも会っていたみたいなその仕草に、は半泣きの笑顔を浮かべた。
「……おかえり。おかえり、秀一。良かった…ほんとに、良かった」
ぎゅう、と抱きつけば、同じ力で抱き返されて。苦しいほどのそれも、今は喜びにしかならなかった。





「私のこと、忘れないでいてくれたんだね」
「当たり前だろう」
屋根のあるベンチの下に移動して、缶コーヒーを買って。ぽつりと呟いたに、秀一は間を置かず返した。
「…あんな風に信じられたら、裏切ることなんてできないさ」
そう言って、微笑を浮かべる。…想い出のそれと同じ、それでも今は確かに実体を伴うそれに、再び涙がこぼれそうになる。
「人の心は、変わりやすいモノでしょう?…私が変わらなくても、秀一は変わるかもしれないってずっと不安だった。それでも、明日が見えない夜も、秀一のこと考えると、胸がぽって温かくなってた。」
「……そうだな、」
冬の終わりの雪が、ごうっと吹き込んでくる。をかばいながら、秀一がぽつりと言った。
「…離れているときのほうが、より強く強く想う。……それは、お互い様だったということか」
「え…」
「自惚れていい」
にっと笑って返された言葉に、が真っ赤になった。
「ちょっ…!」
「想った分だけ、積もってるだろう?……帰ろう。想いを、共有しよう。」
言って、啄ばむような優しいキスをして。
「…………うん。」
も、微笑を浮かべて応じた。



春は、別れの季節。

…春は、出会いの季節。



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                              ♪song by Yuka Saegusa
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