(……まずい。)
片手に持った体温計は、39度を超えている。元々低体温気味なにとって、これはきつい。
(…だがしかし、今日は会社で大事なプレゼンがあるのだ……!)
今日この日のために頑張ってきたのだ。結果的に体を壊すという本末転倒な結果ではあるが、今日は這ってでも行かなければならない、いや行きたい!
頭がぐらぐらするが、薬で抑え込めば午前中いっぱいくらいは行けるはずだ。…まだ寝ているであろう同居人に気付かれないよう、そっと着替えを―――
「休め。」
ひょい、と。
後ろから体温計を取り上げられ、が慌てて振り返る。
「秀っ…!」
「行く気だな?……させないぞ。」
とっさに逃げようとしたの手を、赤井がしっかりと掴む。
「待っ、お願い、行かせてください!今日この日に懸けてたんですっ…!」
弱々しい抵抗は、あってないようなもの。ひょいとを抱き上げると、赤井はそのままベッドへと運んだ。
「っ……!」
「一人暮らしでなら、行けたかもしれないがな。…悪いが、今は君を心配する同居人がいる。玄関へはたどり着けないぞ」
「しゅ…秀一、さ…」
元々立っているのがやっとだった状態だ。わずかに動いただけなのに、既にの息は上がっていた。
「……だめ、ですか…」
しぶとく、もう一度聞く。体が悲鳴を上げているのはわかっていたが、簡単には諦められない。
「駄目だ」
一言で切って捨てられて。
…彼が本気でそう言ったら、玄関までの数メートルが、絶対にたどりつけない桃源郷にもなってしまうことを、は知っていた。
「電話だけ…入れさせてください……」
こうなってしまっては、それだけ言うのがにできる精一杯だった。





風邪、のち、発熱






(…………あ、れ。)
ふ、と意識が浮上する。
自分の置かれた状況を忘れ、しばらくぼんやりと天井を眺めているうちに徐々に頭が覚醒し始めた。
(ああ…そっか。結局会社、休んじゃったんだっけ……)
あのあと、赤井にうながされるままにベッドに横になって。…そのまま、寝てしまったのだ。
「…目が覚めたか」
「…しゅ、…い…さ……」
声が掠れて、思うように出ない。けほこほと咳き込んでいると、赤井が背中に腕を回し、そっとの体を起こした。
「…飲めるか?」
言って、コップの水を口元まで持っていく。
「ん……」
こくん、と。
水が、渇いたのどを潤していく。ふぅ、と一息つくと、赤井がベッドサイドにコップを置く。
「…どうだ。様子は」
「いくらか…楽になった気はするんですけど。まだ、くらくらするかな…」
「少し眠っただけなら…そうだろうな。薬を飲むにしても、胃に何か入れないといけないだろう。少し待ってろ。座ってられるか?」
「はい…」
バランスをとりやすいように、の背にクッションをあてる。…それは、いつかの青いクッションだ。今は色違いで、赤も部屋の中に鎮座している。
(…懐かしい、なあ)
背にあてられたクッションを前に回し、ぎゅ、とそれを抱きしめる。…そうすると、不思議に心が落ち着いた。
?」
「…あ、いえ!だ、大丈夫です…」
顔を覗かせた赤井に、なんだか急に気恥ずかしくなり慌ててクッションをまた後ろに戻す。…その様子を見て、赤井はふ、と微笑を浮かべた。
「粥を作った。…これなら食べられるだろう」
「あ…ありがとうございます……」
ベッドサイドのテーブルを引き寄せ、その上に椀を置く。
(…不思議だなあ……)
何かを食べられるような気分じゃなかったのに、湯気を見て、においをかぐと、不思議と食べられるような気持ちになってくる。…自分の食い意地が張っているわけではなく、人っていうのはそういうものだということにしておこう。
「レンゲでいいか?箸は無理だろう」
「あ、はい。ありがとうございます」
レンゲを受け取り、椀に入れようとして、ぽろりと取り落とす。
「あ………」
「………………。」
フゥ、と細く息をついてから、落としたレンゲを赤井が取り上げる。
「…今日だけだ」
「え……」
す、と。
赤井が、粥をすくったレンゲを、の口元へと運ぶ。
「な……!」
「…早くしろ。やってる俺が恥ずかしいだろう」
「わ、ご、ごめんなさ…!」
「慌てるな。…熱いぞ」
言われると同時にレンゲを口に含み、が目を白黒させる。
「っつ…!そ、それを早く言ってください…!」
「普通気付くだろう」
くく、と。
面白くて仕方がないという風に笑った赤井に、が頬を染める。
「あう…熱、上がる……」
「食べたら休め。…薬を飲んでからな」
「はーい……」
拒んだところで、どうせ良薬は口に苦しとかいって結局丸め込まれるのは目に見えている。…ここは素直に飲んでおこう。
「いい子だ」
「っ!!」
言って、くしゃり、と頭を撫でられて。
「待ってろ。すぐ戻る」
「は…はひ……」
頭の撫でられた部分に手を乗せ、真っ赤になったまま呟いて。
「やっぱり…熱、上がる……」
…クッションを抱きしめ、はベッドに倒れこんだのだった。



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