「ただいまー?」
鍵のかかっていない玄関。
無造作に脱ぎ捨てられている靴。
先に帰ってきているなんて珍しい、と思いながら、はリビングへと続く扉を開けた。





K N I G H T






(……わ、)
これは、本当に珍しい。
………赤井が、ソファーで眠っていた。
青いクッションに頭を預け、ゆっくりと上下する胸。
倒れるように眠り込んだのだろう、コートも近場に脱ぎ捨てたままだ。
起こさないように、そうっと近くまで行き、ソファの横にしゃがみこむ。
…赤井は、夜はが眠るより遅く寝る。そして朝はその逆で、が目覚めるより早く目覚める。
赤井の寝顔を見るのは、これが初めてかもしれなかった。
(…秀一さん、忙しいのかな)
うっすらとしたクマはもはや顔の一部のようなものだ。
だが、もともと色白な肌が今は一層しろく、…常よりやつれたように見える。
一緒に暮らしているからこそ見える、些細な変化。
だがそれを口にしても、いつも笑ってはぐらかされてしまうから心配もさせてもらえない。
「……秀一さん…」
赤井は、優しい。
誰よりも自分がいちばん、それを知っていると思う。
…でも、優しすぎるのだ。
優しい赤井は、に心配をかけまいとするから。
飄々とした表情も、時々悪戯っぽく細められる瞳も、穏やかな笑顔も。
それは、「自分のため」の表情なのだとわかっている。

「…寝てるときだけ、つらそうな顔をしないで……」

私の前で、その表情はできない?
ねえ、それはとても、寂しいの。あなたの優しさが、寂しいの。

「……どうして、…泣いて…いるんだ……」

うっすらと開いた、優しい瞳。
少し掠れた声で、…きっとまだ、眠りの浅瀬を漂っている、そんな状態なのに。
赤井は、そっとの頭を撫でた。
「秀一さ、」
「…お前に泣かれると、……俺は、どうしたらいいかわからなくなるんだ」
どこか困ったような笑顔でそう言って。ゆっくりと体を起こすと、そのままを抱き上げて膝の間に座らせる。
「どうした?何かつらいことがあったのか」
「〜〜〜……っ、ちが、う…」
どうして。
どうしてそんなにあなたは。
「…秀一さん、私は、…私は、頼りない?」
「…………?」
振り向き見上げた先で、不思議そうに、かすかに傾げられる首。
「…つらそうな表情で、寝てた。苦しそうだった。私、あんな表情見たことない。それは、見せないようにしているからでしょう?頼りない私にそんな表情をしても、意味がないからでしょう?」
直視できなくて、前に向き直ってしまう。
なんて子供で我儘なんだと、言いながら恥ずかしくなってしまった。
「…。」
「………ごめんなさい。我儘言いました…」
やんわりと。
頭の上に、顎が乗せられた感触。
ゆっくりと前に回された腕に、ゆるりと抱きしめられる。

「俺は、お前のナイトだから」

…耳元で囁かれた、優しい声。

『この人はな、お前のナイトになるかもしれないんだぞ』

一瞬、だぶって聞こえた懐かしい声。
…遠い昔の、おとぎ話。

「プリンセスの前では、かっこつけさせてくれないか」

抱きしめる腕に、ゆっくりと力がこめられる。
「……プリンセス、って」
私はそんなガラじゃ、ないのに。
「何か不思議か?は、世界で一番可愛くて大事な、俺のプリンセスだ」
「………………」
躊躇うことなくさらりと続いた言葉に、返す言葉を失った。
は、さっき自分のことを『我儘だ』と言っただろう」
「はい」
「それなら、これは俺の我儘だよ。にはいつも笑っていてほしいんだ」

悲鳴と銃撃音が錯綜し、血痕が地を染める。
自分を見失うことはない。
それでも、ふとした瞬間に「自分」を失いそうになる。
……そんなときに、思い出すのが。

の、笑顔だから」

そんな君の表情を曇らせたくはない。
そう続けられ、は真っ赤になって身を固くした。
…嬉しさと、恥ずかしさで。
「ところでプリンセス、俺はとても眠い」
どこか面白がるような口調でそう言う赤井は、もういつもの赤井だった。
「…は、はい」
「寝なおそうと思うんだが、どうかな」
「よろしいのではないかと…って、うわっ!」
赤井に抱きしめられた体勢のまま、ごろんと強制的に横になる。
「……一緒に寝よう。もう少し…」
「ちょちょ、秀一さ、」
と寝られたら、きっと良い夢が見られる」
「…………」
それは、あまり聞いたことのない、赤井の我儘だった。
…我儘を、言ってくれたのだ。

(…やっぱり、あなたは優しいひとだ)

「…仕方ないなあ、今日だけですからね」
わざと恩着せがましく言ってみれば、小さな笑いとともに「ありがとう」と言葉が降ってきた。



を抱きしめて眠る赤井の表情が、本当にとても穏やかであったことを。
は、知らない。



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