「…はじめまして。俺は、赤井秀一だ」
「あかい……」
あどけない顔で、きょとんとして、どんぐり眼で。
名を名乗ってくれるかと思いきや、その可愛らしい顔を、なんとも不満そうに歪ませぽつりと言った。
「お兄さんは、赤いだからいや。」
「……………は」
今度は赤井がきょとんとして。その横で、大笑いしている人物がいた。
……よく、知っているはずなのに。その顔は、まるでもやがかかったようで。…どんなに目を凝らしても、見ることはできなかった。





はじまりのおはなし






「………ん…。」
…頭が重い。それでもなんとか目を開けようとするが、起きたくない、と体が全力で拒否反応を起こす。
それでも、瞼を射す光は容赦なく朝を告げている。一際険しく眉をしかめてから、はゆっくりと目を開けた。
「おはよう」
「………………………………きゃああああああああああああ!!!?」
一人しかいないはずの部屋で、起きざまに普通に声をかけられ、ほぼ反射的に――本能的に――は絶叫して布団へ潜り込んだ。
「……きゃーはないだろう、きゃーは。俺は傷つくことのない鉄面皮か何かだと思っているのか」
容赦なく布団を奪われ、身を隠すものが何もなくなる。それでも心もとなく自分で自分の肩を抱き、半泣きで応じた。
「おは、よう…ございます、赤井さん…」
「おはよう。」
改めて返事を返すと、それで満足したのだろう。取り上げた布団を再びの頭の上に降らせ、そのまま自分はキッチンへと向かっていった。
(ああ…忘れてた……)
布団の中でうずくまりながら、頭を抱える。…自分の家は、もうないのだ。結局には最後まで一体どんな組織だったのかは不明だが、父を狙っていた組織が家を爆破し(ガス爆発に見立てられたせいで、事件性はないと警察は判断した)、今現在自分には住むところがないのである。…とりあえず、ということで、赤井の住むマンションの一室を借りていたのだ。
(……お父さん。)
ふと、先ほどまで見ていたはずの夢を思い出す。…確か、父の夢を見ていた。あたたかくて優しい…切ない、記憶。
顔を思い出すことはできなくても、あの家には父の優しさが満ちていた。それを失ったことは、やはりにとっては辛いことだった。
「…っと、いけない!」
じわり、と滲んできた涙を服の袖でぬぐい、布団から脱出する。今日はあの家の跡地へ行き、何か使えるものが残っていないか探すのだ。
「ふぁいとーっ、おーっ!」
「…。」
「あ、は、はい?」
名で呼ばれることには、まだ慣れていない。慌てて振り返ると、何故か明後日の方向を向いた赤井の姿が目に入った。
「ファイトはわかった。…とりあえず、着替えろ。」
「………きゃあああああああああああっ!!!!」
本日、二度目の絶叫。たった今脱出したばかりの布団に、再び頭から突っ込む。
…そうだ。パジャマすらなかった自分は、赤井のシャツを一枚借りて、それを着て寝ていたのだった。
(もう…やだ……)
半泣きになり、布団をかぶったままでもぞもぞと畳んでおいた洋服のほうへと向かう。…なんだかもう、全てのエネルギーをこの数瞬で使い切ってしまった気がした。





「…………んー。」
見事に燃え尽きてしまった我が家を前に、しばらく立ち尽くす。
…わかってはいても、やはりこうして日の光の下で見ると、胸に来るものがあった。
(やっぱ…悲しい、な………。)
赤井には、一人で行きたいからといって家を出てきた。彼も暇な身ではないのだから、今頃はどこかで任務についていることだろう。
ざく。
……ざく。
踏み込んだ先で、ことごとく家の残骸が崩れていく。使えるものを探す、というのは単なる名目にしか過ぎず、本当はただ家を懐かしみに来ただけなのだ…ということに、自分自身今になって気付いた。父との暮らしが終わり、親戚をたらいまわしにされてから、ひとりで生活できる…そう判断してからずっと今まで住んでいた家だ。想い出など、数えだしたらきりがない。
「……お父さん………。」
座り込んだのは、父の書斎があったはずの場所。…はず、としか言えないのが、やはり悲しい。
「ねえ…私、赤井さんに……小さい頃、会ったこと、あるんだって。自分は覚えてないのにねえ…」
なんだかずるいよね、なんて言いながら、とりとめもないことをぽつりぽつりと話す。…相槌を打つ者はいないが、吹き抜けていく風は、優しかった。
「お父さん…これから私、どうしたらいいかなあ……。」
住む家もなく、身寄りもない。…自分の支えであり、唯一の肉親とさえいえたこの家を失ったことは、にとって思っていた以上のダメージを与えた。
(…がまん。)
ともすれば止まらなくなりそうな涙を、必死に抑え込む。…今ここで泣いてしまったら、なんだか父を心配させてしまう気がして。
「…さて、っと!まずは家探しだよね。雨もしのげないんじゃどうしようもないし、さっさと決めないと!」
会社には連絡してあるから、少しばかり時間に余裕はある。…赤井の家に戻る気は、もうない。あのままなし崩し的に世話になるのはの性格上受け入れられないし、赤井も好まないのではないかと思えた。…想いが通じ合った、というのも、なんだか今考えると夢か何かだったような気さえしてくる。
以前引っ越したばかりの友達が世話になった不動産屋が、とても親切だったという話を思い出す。とりあえずはその子に連絡を取ろうと、電池が残り1つになってしまった携帯電話を取り出し電話をかける。
「…あ、もしもし?うん、そう。あのさ、前世話になったっていってた不動産屋さん、私にも教えてくれない?」





「高っ!もう少しなんとかなりませんかー!?」
「お嬢さん…これ以上はいくらなんでも…」
「…ですよねー。」
相手が限界まで譲歩してくれているのはわかっている。だが、これからは、日常生活必需品から洋服、家電製品諸々、全てを買いに走らねばならないのだ。家賃とはこんなに高いものだったのかと愕然としつつ、こちらもこちらで譲るわけには行かなかった。
「…困ったねえ、これ以上となると……」
「これ…以上となると……?」
なんとなくトーンを落とした相手に釣られ、も声を落とす。
「……いわくつきの物件、ばかりですよ」
「いわくつき……」
ごくり、とつばを飲みこむ。…来た、と思った。実は友人が紹介されたのもその手の物件だったのである。いわくつきとわかった上で何も言わずに貸すのは問題だが、こちらが了承した上でなら合法だ。
「た、たとえば…?」
「まあありきたりなところでいけば、自殺があった部屋、殺人があった部屋…もしくは、その隣。他には隣人が皆奇人だとか、騒音で壁が震えるとか」
「んー……」
騒音はちょっと、勘弁して欲しい。隣人が奇人というのも、なかなか精神的にきそうだ。…自分には霊的なものがいっさい備わっていないのは、今までの人生で立証済みだ。それなら、まだ前者のほうがよいのではないか。
「ちなみに、殺人事件のあった隣の部屋…だと、どうなります?」
「そうですねえ」
電卓をたたき、に見せる。
「こんなもんですか」
「おおー…」
「ああ、ただしオプションつきですね。隣人が少しばかり問題あり、かと」
「むー…」
この場合の隣人とは、殺人事件があった部屋に住んでいる人物のことだろうか。やはりとて、その部屋ずばりに住むのは気が引ける。その部屋に住んでいるとなると、多少の変人であるのは仕方ないのかもしれない。
「でも本気で切羽詰ってるんです…。もうこの際、その部屋に決めていいですか?」
「よし来た。何か問題があればいつでも言ってくれていいですよ、すぐにとりはからいますから」
「ありがとうございます!」
この不動産屋の親切たる所以はここである。感動して、うっかり握手を求めそうになってしまった。
「それじゃあちょっと私はこれから用事があるから、夕方また出直してきてもらっていいですかね?」
「ええ、構いません」
その間に、100円SHOPで生活必需品でもそろえておこう。時間の指定を受け、は足取り軽く不動産屋を出たのだった。



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