「わー、結構立派な建物ですね…。これであのお値段ですか?」
「オプションが付きますからねえ。何もなければ、まあそれなりには」
「…でしょうねえ……。」
そうだろうな、と思う。ここは自分くらいの女性が一人暮らしをするには、やや立派過ぎる感が否めない。
(まあ、多くは望まないし。不満があったら変えていいって言ってたし、とりあえずは雨露が凌げればいいか…)
そんなことを考えながら、両手いっぱいに抱えた荷物を持ち直す。更に、不動産屋にも袋は持ってもらっていた。短時間で随分買い込んだものだなあ、と自分でも呆れてしまう。
「ここの4階ですね」
「4階……」
病院では、ないところも多い階数。完璧ともいえるお膳立てに、さすがにも頬を引きつらせた。まさか噂の隣人は、夜な夜な壁にわら人形を打ち付けているとか…
「着きましたよ」
「あ、はいっ!」
が怖い想像に思いをめぐらせている間に、部屋の前についていたらしい。4階の14号室、角部屋だ。
(角部屋……)
ほ、と息をつく。…隣近所との関係を疎んでいるわけではないが、今はまだそんな心の余裕はない。それに、付き合う奇人は少ないに越したことはなかった。
「中を見てみますか?」
「はい。もう、今から住むつもりですから」
「はは、そうでしたな。では詳しい手続きはまた、明日店に来てもらえますか」
「はい!」
本当に有難い。鍵を預かると、不動産屋は「それでは私はここで」と立ち去ろうとした。
……カチャッ。
「!」
「……おや。」
ちょうどそのときだ。…隣の部屋の、扉が開いたのは。
「珍しいですね。いつもはお部屋にいることのほうが希少だと伺っていましたから」
動じることなく、笑顔で不動産屋が応じる。そうだ、奇人だと決めてかかって失礼、どんなにおかしな人でも誠心誠意向き合えば―――
「ハァイ!不動産屋サーン、お久しぶりデース!今日はー、何かご用でしたかー?」
「……っ!?」
目の前に現れた人物に、は絶句した。その人物を挟んだ向こうでは、不動産屋が苦笑しながらに目配せを送っている。
(妙にテンションの高い、おかしな外国人だろう?)
…確かに、奇人かもしれない。
事実は、そのテンションに当てられて今、話すことも動くこともできなくなっているのだから。
(でも……)
実際のこの人物は、このような奇人ではないことを…は、“知って”いる。
「ヘイ、あなたが私の、隣人サーン?よろしくお願いシマース!」
「あ、え、あの…」
握手を求められ、が戸惑う。…うつむいていた視線を上げて、顔を見てみると。
(……!)
言葉も、仕草も、ノリは最高潮なのに。…その目は、笑っていなかった。
(余計なことは、言わないのよ。)
その無言の圧力に、も目で応じる。
(…わかりました。)
といいます。これからお世話になりますが、よろしくお願いします」
「それじゃあ、私はここで失礼するよ。また明日、店に来てくれ」
自分はここまで、と踏んだのだろう。不動産屋が、今度こそ踵を返して帰っていった。





「……驚きました。まさか、隣に住む奇人がジョディさんだったなんて」
「奇人、はお言葉じゃない?明るく接しやすい外人さん、くらいに言ってくれればいいのに」
「あはは……」
先に“素”のジョディに会っていたからすれば、先ほどのテンションはやはり異常だった。この人、普段はいつもあんななのかな…等と少し遠い目になってしまう。
「ところで、。今日は家に行ったんでしょう?何か使えるものはあった?」
「……そう、ですね。」
キッチンで珈琲を入れているジョディの後姿を見ながら、はぽつりぽつりと零した。
「正直なところ…何をしにいったんだか、よくわかりません。あれだけの爆発で、家に何か使えるものなんて残っているわけなくて…。結局、ちょっと感傷に浸っただけで帰ってきちゃいました。きっと、ただ懐かしみに行っただけなんです」
そう言って、苦笑する。両手にカップを持って戻ってきたジョディは、不思議そうに聞いた。
「何故、それを悪いことのように言うの?」
「………え?」
の今の言い方は、“感傷に浸る”ことはいけないことみたいよ。何かいけないこと?」
「それ…は……」
遠慮のないジョディの言葉が、ずばずばと胸に刺さる。…いけないこと、ではない。ただ……ただ。
「いけなくは…ないんですけど……そんな自分を認めることは、自分が弱いって…そう、誰かに言われている気が…して……。」
ずっと、一人だった。
一人で、頑張ってきたのだ。
だから今回も、一人で乗り越えようと。そのために、感傷は足枷にしかならないと。だからこそ、心の中で誰かに責められているような気がしたのだろう。そんな暇はない、早く前を向け、前に進めと。
「……飲みなさい。あたたまるわよ?」
「あ、はい……」
ジョディが入れてくれた珈琲に口をつける。…仄かに香ったのは、何の匂いだろう?
(美味しい……)
今日も朝から、ろくなものを胃袋に入れていない。ジョディの入れてくれた珈琲は、まさに五臓六腑に染み渡る、そんな表現がぴったりだった。
、お酒、平気?」
少し笑いを含んだようなジョディの声に、がとろんとした目で応じる。
「…嫌いではないですけど…弱い、です……」
「……そうみたいね。怒られちゃうかしら」
「怒られ…?だれ、に……」
私を心配するような人はいないから、怒る人だっていないのに。
こくん、と最後の一滴まで飲み干すと、の体がぐらりと揺れた。
「……っと!危ない。本当に弱いのね……。…でも、いいわ。今は、お酒の力を借りてでも」
ゆっくり休んで。…あなたには、それが必要だから。
「ジョ…ディさ、ごめ……」
「飲ませたのは私よ。謝る必要はないわ」
(謝る……)

(君が謝る必要はないよ。)
(はあ…しかし……)

脳に響いたやさしい声と、それに戸惑ったように返す声。
…あれは、誰が、誰に対して言った言葉だったのだろう?
「……ジョディ。」
「怒らないでね?あなたにも責任はあるわ。…この子、まだ一人で戦ってる」
ゆっくりと遠のいていく意識と、耳に届いた声。……私は、この声を知っている?
………」

呼ばれた名と、頬にそっと触れた手。
その手は冷たかったのに、何故かとても安心できた。




それは、運命の三女神による

               粋な悪戯





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