…最期の瞬間、その人は、きっと微笑んでいたのだと思う。
けれど、涙が邪魔して、はっきりとそれを知ることはできなかった。





「…神子様?」
名を呼ばれ、はっと意識を目の前の少女戻す。
「…ごめん、藤姫ちゃん。なんだっけ?」
「はい。四神の札についてですわ」
…相変わらず、京は危機に瀕している。
そして当たり前に日は昇り、夜になれば月が夜道を照らし、鳥は鳴き、空は青い。
人々は、何もなかったかのように、何も変わっていないかのように暮らしている。
(……違う)
それは、八つ当たりだ。
多くの人にとっては…この京に住まうほとんどすべての人にとっては、
実際何もなかったし、何も変わっていないのだから。
説明を終えた藤姫が退室すると、ほう、とため息をついて、は空を見上げた。
…青い。雨なんか、降る気配すら見受けられない。
「……うん、」
わかっている。
みんなが、自分に気を遣っていること。気を、遣わせてしまっていること。
(いつまでもこうしてるわけにはいかないけど)
もう少しだけ、時間がほしいの。…ごめん、ね。
「頼久さん。私、ちょっと出かけてきます」
外に控える頼久に、声を掛ける。
頼久は当然のように、ついていくことを申し出た。
「神子殿、どちらまでおいでですか。私が…」
「大丈夫、すぐ戻るから。…お願い。今日だけ、一人で行かせて…?」
頼久を困らせているのはわかっていた。
自分が出かけるときについてゆくのは頼久の仕事だ。
もしそれを放棄したと藤姫にあとでバレたら、お叱りを受けてしまうだろう。
「…わかった。藤姫ちゃんには私から説明しとくから!」
「、神子殿!」
何か言いかけた頼久を制すると、は藤姫の下へと走り出した。





「茜色に染まる前、か…」
腕時計なんかありはしないこの平安の世では、門限すらも風流だ。
そんななんでもないことがおかしくて、はふふふと笑った。



「……え?」
不意に名を呼ばれた気がして、慌ててきょろきょろと周りを見渡す。
…誰も、いない。
「気の…せい、だよね。」
テンポ良く古寺へと続く道を登りながら、ゆっくりと息をする。
…いい、におい。
「草のにおい…。」
雨上がりの、しっとりとした、でも嫌いではなかったあのにおい。
湿り気が多いから、きっとそう感じるのだろう。

 ザ  ッ   …

…さわさわと、風がなる。
まるで、ここにきた自分を、歓迎するかのように。
「…久しぶり、だね。」
そう、小さく口にして呟く。
再びさわさわと風がなく。まるで、自分の呼びかけに呼応するかのように。



「…………………。」
また、だ。
耳に聴こえる声ではない。
脳に直接語りかけるような、静かな声。
さっきはただの勘違いだと思ったけれど、…これは。

「季史さん……?」

 さわ さわ さわ ……

再び、風の音。
…信じられない、という想いと、やっぱり、という想いとが、交錯した。
「…ご、ぎょう、の…流れに……」
戻った、というのは、
「いつも…いつ、も……?」
風となり、光となり、日となり、水となり。
「……うっ、」
本当、だったんだ。
私が封印したことで、季史さんは、五行の流れに戻ることが出来たんだ。
「ごめ、……」
…ぽろぽろとこぼれる涙をぬぐうように、風が優しく頬を撫ぜる。
それは、あの優しい指先に似ていた。
(…うん。)
良かった。今日、ここに来れて、良かった。
「私、もう大丈夫だよ。…封印、も、きっとできる。」
こうして、あなたが五行の流れに戻ったことを感じることが出来たから。
もう、躊躇いはしない。
…そして、今ならそうだったと言い切れる。
「微笑んでて、くれたんだよね。」
最期の瞬間、あなたはきっと、微笑んでくれていた。
それを今日、知ることが出来た。それで、もう私には十分だ。

「ありがとう、季史さん!」

風がなる。葉がざわめく。…の瞳に、もう涙はない。
くるりと古寺に背を向ける。
…背を向けた瞬間、不意にその古寺に、季史が座っているような気がして。
「っ、」
振り向きかけて、…やめた。
もしそこにいても、きっと自分が振り向いた瞬間に、消えてしまう。

「…私、あなたに逢えて良かった」

ぽつり、と。
そう呟いて、古寺を後にする。
振り返ることは、しなかった。







「よし、今日は東の札だな!」
「うん!」
元気良く返し、ふと、空を見上げる。
今日の空も、どこまでも青く突き抜け、気持ちの良いものだった。
(…いい天気。)
あとを追って走りながら、心の中で小さく願う。

…あなたが今も、微笑んでくれていますように。



逢 え て 良 か っ た




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「遙かなる時空の中で1阿弥陀企画〜永遠の桜吹雪を阿弥陀に〜第二夜」に参加させていただきました。多季史で書けて嬉しかったです!ありがとうございましたv

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