と ど か な い





「わかんない…」
呟き、は机に突っ伏した。
…若ちゃんの授業でうっかり居眠りしてしまい、好きなイカを答えられなかったせいで「さんの負けです」というわけのわからない理由でもって課題を出されてしまった。要するに授業で居眠りした罰である。
…クーラーの効いた室内で机はひんやりと気持ちよく、そのまま目を閉じる。
「……って、閉じてる場合じゃないっ!」
がばっと飛び起きると、そのまま「化学」と書かれた棚へ向かった。教科書だけでは、なかなかすべての空欄を埋めることは難しいのだ。
「うっ…」
目当ての本を見つけ、小さく唸る。
とどかない。
…一番高い棚にあるそれは、「全力でジャンプすればひょっとして手がかするかもしれないよ?」といった具合の高さで。洒落た図書館でもなし、下にローラーのついた踏み台なんてない。受付までいってわざわざ台を借りてくるのが億劫で、は意を決した。
「よし、せーのーっ…」
「やめとけ。パンツ見えるぞ」
「ぎゃっ!!?」
飛ぼうとした瞬間にかかった声に、はすんでのところでとどまった。
「色気のない悲鳴だなー。『きゃー』とかいえないのか、お前」
「よっ…余計なお世話……!」
振り向いた先にいたのは、不機嫌そうな顔をした瑛だった。…いい顔をすることに疲れているだけで、別に本当に不機嫌なわけではないことは既に承知の上だ。
「どれ」
「え?」
「だから。本、どれ」
瑛が必要最低限の言葉で伝えると、は「上の、その『猿でもわかる化学』ってやつ」と素直に応じた。
「…猿でもって。」
「そこはつっこまないで」
この本のタイトルをつけた人間もどういうセンスだ…と思いながら、その本をとってやる。ぺし、っと頭の上においてやると、「痛いなーもう」と言いながらも小さく「ありがとう」と付け加えてきた。…こいつは、こういうところがずるい。
「カピバラは足が短いからな」
相変わらずの減らず口を叩いてやれば、も負けてはいない。
「瑛くん知ってた?私ね、これでも一応人間なんだ。コンタクト新調したほうがいいかも」
「必要ないな。、お前が人間だと?残念だな、それは思い上がりだ」
「くっ…!」
ぐぐぐと詰まっているところへ、チョップをかましてやる。
生意気にも本で防御してきたが、元々当てるつもりはなかったので寸でのところで止め、自分の手にハードカバーの衝撃が与えられることはなかった。
そんな瑛を恨めしげに眺めてから、ぽつりとが呟く。
「…もっと、大きくなりたいな」
「横にか?」
「………………………」
「わるかった。角はやめろ?痛いから。な?」
無言でハードカバーを構えたに、瑛がさすがに引きつった声を上げる。
「冗談だっつーの。…本がとれないのがそんなに悔しかったのか?」
「うん」
「…そうか。」
の負けず嫌いっぷりはわかっているつもりだったが、まさかここまでとは。…いや、もし自分が逆の立場だったら、やはり同じことを思ったかもしれない。お互い様だ。
「別にいいだろ」
「なんで」
「なんで、って…」
ふくれっつらで言ったに、瑛が続ける。
「俺がいるし。とれなかったら、いつでもとってやるよ」
その言葉に、がぽかんとする。
「……いつでも…?」
そこでようやく自分が何を言ったかに気付き、瑛は一気に真っ赤になった。
「や、変な意味にとるなよ!?俺はだな、ただお前の身長の低さを哀れんで、だな!」
「瑛くん耳まで真っ赤ー。ぷぷ、恥ずかしいこと言ってるー」
の言葉に、瑛はぐっと言葉に詰まった。
「ばっ……!……あーもううるさい。カピバラは黙ってろ!」
そんな瑛の言葉に、くすくす笑いながらは「はいはい黙ってマース」と応じる。
「“はい”は一回だろ!」
「瑛くんお母さんみたーい」
「おか…!?こら、待て!」
「あなたたち!いい加減に静かにしなさい!!ここは図書館ですよ!!」
「「……ごめんなさい。」」


とどかない。

…この距離が、こんなにも、愛おしい。



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