月の裏側






まだ夢をみてる   原色の夢を


「…いさ、大佐!起きてください、マスタング大佐!」
「ん……?」
がっくんがっくんとなかなか激しく揺さぶられ、ロイはぼんやりとした表情のまま目を開けた。先ほどまで夢の中にいたため、現状把握の思考が追いつかない。
「あー…ホークアイ中尉か。どうした?」
机越しに肩を揺さぶっていた相手がホークアイだということをようやく認識し、ロイは盛大に伸びをしながら聞いた。無論、欠伸も混じっている。
「どうした、じゃありませんよ。今何時だと思っているんですか?」
「何時って、まだ3時過ぎ………」
頭上の時計を見上げる前に、窓の外を見て硬直する。3時過ぎなら、こんなにとっぷり日が暮れているはずが無い。それどころか、大きな月が顔を見せている。
「…えーと」
「9時過ぎです。大佐が『9時頃にまとめて提出するから、それまで待ってくれ』とおっしゃったので、律儀にお待ちしていました。その結果がこれですか?」
言葉の端々に、バラより痛いトゲが見え隠れする。…が、自分が下敷きにして寝ていた未処理の書類の山を見ると、それに反論することはできそうもなかった。一体、なんでまたこんなに深く眠ってしまったのだろう。
「悪かったよ、中尉」
「私は構いませんが。あとでつらいのは大佐ですから」
「ははは、その通りだな」
つんつんとした物言いではあるが、既に怒ってはいないらしい。それに安堵して、ロイは窓際まで歩を進めた。窓を開けると、涼やかな夜の風が入ってくる。
「…あぁ、いい風だな」
混濁としていた意識が、ようやく目を覚まし始める。…それと同時に、自分がどんな夢を見ていたのかも思いだしていた。
(にがい余韻なら、飲み干せばいい…か)
そう言い聞かせて、此処まで来た。この地位を得るまでの道のりは決して平坦ではなかったし、それはこれから先も同じだろう。…いや、それ以上に厳しくなるのは目に見えている。
「大佐?」
窓を開けたまま、外を見て動かないロイを不思議に思ったのだろう。ホークアイが窓際までやってきて、軽くロイの顔を覗き込んだ。
「…いや、すまない。何でもないんだ」
そのまま窓を閉めようと取っ手を手にしたが、それを遮ってホークアイが窓を押し、更に大きく開放した。

さぁぁぁぁっ。

葉音と共に、盛大に風が吹き込んでくる。しばらく呆気に取られていたが、目にかかった前髪をゆっくりとホークアイに払われ、はたと我に帰った。
「…つらいですか?」
「な……」
「痛みを隠して光り続けるのは、つらいですか?」
「!」
哀しげな表情をして言われた台詞に、目を見開く。開けっ放しの窓から見える空には、満月とはいえないが、球形に近い形にまで満ちている月が淡い光を放って輝いていた。
「…月、か」
ホークアイの位置からは、自分よりもこの月が良く見えたのだろう。さりげなく見やれば、瞳の中にそれを見つけることも出来た。
「月の裏側はクレーターが多く、また起伏も激しい。それを隠して光り続ける、健気な月と私を重ねたのか?…買い被りすぎではないのかね、中尉」
自嘲気味な笑みを浮かべながらそう言うと、ホークアイはふいと視線を逸らして空を見上げた。瞳いっぱいに、大きく月が映っている。
「誰に見てもらうこともなく、照らされることも無い…満たされない、月の裏側。大佐にも、少なからずそういった部分があるのでしょう?」
ホークアイはそう言ってゆっくり振り返った。滅多に目にすることのできない、優しげな微笑を浮かべて。
「…そうだな。そうかもしれない」
夢の中での出来事。今更明言しようとも思わないが、…確かに自分の中にある、そういった部分を再確認するものだった。まさか、月に例えられるとは思っていなかったが。
「無論、私からも月の裏側を見ることは出来ません。それは、悲しみを隠して光っている月に対して無礼なことだとも思いますから。…けれど」
す、と頬に添えられた手に、無意識に自分の手を添える。開け放した窓の側に長々といたせいだろう、随分冷たくなってしまっていた。
「わかっています。どんなに美しい月にでも、裏側があることを」
それは、忘れないで下さい。
そう続けたホークアイに、ロイはふいに息苦しさを覚えた。締め付けられるような、甘く切ない熱情。
(…けれど)
今は、それを表に出すべき時ではない。
「…心に留めておくよ」
軽く手を握り、それを自身の頬から外す。そのままホークアイに背を向けると、外にたなびいていたカーテンを室内に引き込んで窓を閉めた。
「ありがとう…」
知っている、わかっている。…それは、間違いなく力になる。
「とりあえず、この書類の山を片して下さいね」
最後にさりげなく付け加える辺り、ちゃっかりしている。ロイは苦笑しつつ、自席へと戻った。椅子に座ったままでも、十分に外は見える。
「中尉…」
「はい」

「月が綺麗だな」




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2005.2.26

「まめのあしあと。」様と相互リンクして頂いたお礼小説です。本当にありがとうございました!

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