今日はたまたま、本当にたまたま、乗る電車が一本遅れた。朝家を出ようとしたら、靴ひもがほどけて転んだ。結び直していたら、頭の上を野良猫(黒猫)が踏み台にして飛び越えていき、慌てて乱れた髪をなでつけていたら、もうどう頑張っても間に合わない時間になってしまった。 …靴ひもに、黒猫。今日は朝から、縁起が悪かったのだ。 (…っくあ〜、眠…) 電車を降り、めいっぱい伸びをする。自転車置き場まであくびをかみ殺しながら歩いていると、その横をすたすたと追い抜かされた。見たことがない顔だが、大学の指定駐輪場に向かっているということは同じ大学なのだろう。 (む……) いつもこれより一本前に乗っているから、会ったことがなかったのだろう。髪はボサボサだし、自分と同じくあくびをしながら歩いている。やっぱり、電車の中で寝てきたのかもしれない。 (ま、どーでもいいや) 入り口脇に止めた自転車に鍵を差し、ゆっくりとこぎ出す。ゆるやかな坂を上り、最初の信号を迎えたところで、先に走り出していたさっきの人に追いついた。 (あ、追いついちゃった) なんだか、野球帽を後ろ向きにかぶるのが似合いそうな人だと思った。前カゴに無造作に突っ込まれた鞄は、使い古してくたびれている。 前の信号が青になった時、ちらりとこっちを見た彼と、目が合った。 「……?」 ゴウッ。 …次の瞬間、横にいた彼が、ものすごいスタートダッシュをかけた。 「なっ…」 自慢じゃないが、自転車にはそれなりの自信を持っている。そうじゃなきゃ、大学まで片道30分も自転車をこいだりしない。それに… 「……っの…!」 負けず嫌いだという、自覚もある。さっきの目配せは、宣戦布告ととらせてもらおう。 長い下り坂に入る前に、ビョウと風を切って彼の横を走り抜ける。まさか走りながら後ろを振り返るわけにもいかないから、距離はわからないがとにかく引き離そうと下り坂でもブレーキをかけず、むしろこぎ足すくらいの勢いでぶっ飛ばした。 (よし……!) だが、次の信号に引っかかったところで、またもや横から抜かされた。…ちらりと、こちらを一瞥しながら。 「……いい根性。」 こうなったら、マラソン大会形式でいこう。わざと相手の後ろぎりぎりを走るのだ。 そう思い立つと、はぴったり3mほど距離を置いて追走を始めた。何度か追い越しも試みようとしたが、今はまだ時期ではないと我慢する。 そして、大学まであとわずかとなった長い上り坂にさしかかったときだった。 (今だ……!) ぐっ、とペダルを踏み込む。坂を上るのに、前を走る彼のスピードがわずかに落ちた瞬間。 ゴウッ。 …一気に、追い抜いた。 (やった……!) ここは心臓破りの坂として有名で、自転車から降りて押す生徒も多い。一旦ここで抜いて引き離せば、もう追いつかれることはないだろう。 「はぁー…疲れたー。でも勝ったからいいや」 大学までは、もう一直線。ギアを戻し、のんびりと青空を楽しみながら走っていたときだった。 ザッ!! 「っ……!」 …目の前に、葉が散った。風によるものではない、人為的なものだ。…そう。脇からいきなり、植え込みを飛び越えて自転車が飛び出してきたのだ。 「不意をついて左からです」 唖然とした顔で見上げているに、余裕綽々でにやりと笑って言い捨てていった彼は。 「こんっ……!!」 「けけっ、こっちに近道があるって知らなかっただろ?オレの勝ちだな」 言うが早いか、猛ダッシュをかけられ、みるみる引き離されていった。 「…くっそぉぉお!!!」 「オレの名前は黒羽快斗!!明日も競争しようぜ、じゃーな!」 「じゃーな、じゃないーっ!!」 叫びながら、も全力で追いかけ始めた。 …その後毎日、激しいデッドヒートが繰り広げられることとなる。 ---------------------------------------------------------------- BACK |