正直なところ、驚きはなかった。
頭の中ではきっと、わかっていたのだ。
ただ、それを心が認識しようとしていなかっただけで。
「……明美。」
ぽつり、呟いたその名に。

応える者は、もういない。





「…どう思います?シュウのこと。」
「さて、ね…。危ういとは思うが、彼のことだ。大丈夫だろう」
「そうでしょうか……」
不安そうに返し、ジョディはそっと遠くの赤井を盗み見た。…組織との取引に失敗し、一時的にアメリカへと赤井は戻っていた。すぐにまた日本へ行くと言っていたが。
…一見する限りでは、大きな変化があるようには見えない。だが目の下の隈は濃いし、少し痩せた感じもする。…今まで共に戦ってきた仲間だからこそ、その些細な変化にも気付いてしまう。
「シュウ……」
(やっぱり、好きだったのね。彼女のことが…)
組織に入り込むために、ただ利用するだけだったはずの存在。
それ以上にも、それ以下にもならないはずだったのに。
…人の感情というものは、どうしてこうも残酷なのだろう。
幸せになれない結末を知っていようと、理解していようと、それをとめることはできないのだ。
(…そして、)
その領域に、他者が踏み込むことは許されない。
それをわかっているからこそ、ジョディは動きが取れなかった。
どれだけ気にかけようと、心配しようと、…それを彼に伝える術はないのだ。
「赤井君」
ジェイムズが声をかけると、はっとしたように赤井が振り返る。
「作戦会議だ。行くぞ」
「……はい。」
軽く頷くと、短くそれだけ返し赤井はこちらへと向かった。





いつだっただろうか。
もう記憶も薄れるほどの昔だ。仲間の一人が、彼女にフラれたと言ってえらく落ち込んでいた。

『俺がさあ、いっくら想ったってあいつはもう振り向いてもくれないんだ…』
めそめそと横で泣かれるのを、ただ黙って酒を飲みながら聞いていた。一方的に話したいのだから、こちらは聞いていればいいのだ。
『うじうじしてんのねえ』
そんな自分とは裏腹に、もう一人一緒にいた仲間はあっけらかんとして言った。
『忘れたくないんだ、あいつのこと。忘れないでいれば、いつかは…いつかは、綺麗な想い出になるかもしれないだろ』
『綺麗な想い出、ねえ…』
こくん、と一杯飲み干してから、そいつの額を小突いて言った台詞が、蘇る。

『でも、やっぱ、忘れた方が楽じゃない?』

『…楽か?』
『そうよぉ。いつまでも縛られて苦しむより、忘れちゃったほうがいいって!』
『……そんなもんなのかなあ…』

…あの頃は、それが正しいかどうかなんてわからなかった。
それは今も、変わらない。考えなんて人それぞれだろうし、決着のつけ方も人それぞれだろう。
「……それなら。」
それなら、オレは。

ザッ、ザクッ、ザッ。

長い髪を、躊躇うことなく切り落としていく。
こんな髪でも、やけに嬉しそうに触ってくれたこともあった。「綺麗だね」と、笑いながら。そんな一こますら、リアルに思い出すことができる。…思い出すことはできても、それは現実ではないのだ。

 パ サッ…。

思い切り良く、切ってから。
そこで、初めて鏡を見てみた。…髪より先に、顔に目が行く。我ながらひどい。これでは、周りの仲間たちにも気付かれてしまっていただろう。
「……それならオレは、忘れないでいよう。」
忘れて楽になるのなら。
「一生でも、茨の道を歩き続ける。」
楽になどなりたくはない。
救いも求めてはいない。
何も、いらない。何も、もたない。
…あるのは、自分の中で黒く燃える、この炎だけ。
この炎さえあれば、自分は生きてゆける。

「言わなきゃわかんない?」

涙を湛えて、言われた言葉。まっすぐに、胸に突き刺さって抜けない刃。
「…わかっているさ。」
刃は、抜けないままでいい。
この胸を鞘に、ずっと刺さっていればいい。

…その痛みだけが。
痛みだけが、ともすれば狂気に攫われてしまいそうになる…己の正気を、保たせてくれるのだから。




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