―――雨音が、耳鳴りみたいだ。 「おつかれ、手塚」 「ああ」 髪からぽたぽたと雫を滴らせながら、手塚は後ろ手に部室の扉を閉めた。それに遮断されることなく、雨音は無遠慮に室内にまで入り込んでくる。 「皆は?」 「帰ったよ。あとは僕と手塚だけ」 「…そうか」 体に張り付いたポロシャツを着替えようと、自分のロッカーの前へと歩を進める手塚の背に向かって、不二は声をかけた。 「何をしてたの?」 「……何故だ?」 何故、そんなことを聞くのか。 そう問い返した手塚に、不二は苦笑した。うっすらと目を開くと、やおら静かに言葉を続ける。 「質問に質問で答えるのは狡いよ。今聞いてるのは、こっち」 「……ネットやボールが雨で痛まないよう、チェックしていただけだ。大したことじゃない」 ばさばさと、脱ぎ捨てたポロシャツを乱暴に畳みながら答える。軽く足踏みをしている様子は、濡れて張り付いているジャージに苛立っているのだ、とすぐに気付かせた。 …らしく、ない。 「けど、それって一年生の仕事じゃない?部長の君がやることだとは思えないけど」 畳んだポロシャツをベンチへ投げ、シャツを手に取る。袖に腕を通しながら、手塚は俯いたまま答えた。 「最終的なものだ。大して時間もかかっていない」 「ふーん…」 大して時間も、かかっていない? みんなが着替え終わって、雑談をして、帰って行くまでの時間、君はずっといなかっただろう?それを君は、「大した」時間ではないと、そう言い切るわけだ。 「手塚って、嘘が下手だよね」 「…なんだと?」 下もはきかえ、制服姿になった手塚が、そこで初めて振り向いた。ゆっくり、ゆっくりと、スローモーションのビデオのように。振り向いたらそこには何か恐ろしいものがいると、そんな風に思っているかのように。 「君は気を使うのも下手だよね。ねえ、はっきり言ったらどう?」 言うが早いか、背を預けていた壁から一飛びで手塚の元へとやってくると、がんっ、と手塚の背をロッカーへと押しつけた。そのまま下から睨め上げるようにして言葉を続ける。 「僕を避けてるんだろう?」 「…っ、ちが…」 「違わない」 かっ、と頬を紅潮させて言った手塚に、不二は二の句を継がせなかった。ぐい、と肩を押さえつけたまま、くすりと笑いを漏らす。 「…気付かないとでも思ってた?僕も随分となめられたもんだな」 「……っ」 視線を逸らして何も言わない手塚に、不二は苛立った。 「ねぇ、手塚。君も今日、酷く苛ついていたよね。部室の扉を開けた瞬間からさ」 僕が一人、残っているのを見た瞬間から。 「ネットのチェック?違うだろう。単に、みんながいなくなるのを待ってただけだろう?いや、違うか」 手塚の肩を解放し、軽く腕組みをして、不二は笑みを崩さないままに続けた。 「僕がいなくなるのを、か」 ザァァァァァァ 雨音が、…耳鳴り、みたいだ。 「不二…俺は…」 ロッカーに背を預けたまま、視線も逸らしたまま、手塚がゆるゆると言葉を紡いだ。 「わかってる…わかってるよ」 君の言わんとしていることくらい。 君のことをずっと見ていたんだ。避けられていることだって、その理由だって、僕は全部わかってるんだ。わかってはいても、それを受け入れられるほど僕はできた人間じゃない。 「全国制覇。今はテニスで手いっぱい。他のことを考えている余裕なんて、ない。…わかってるさ」 勉強だって、本当はもっとできるのに学年一位にはならない。なれない。テニスで頭がいっぱいだから。それなのに、色恋沙汰なんて冗談じゃない。…そうだろう? 「俺は…部長と、して…」 僕は全部わかってる。 「君が、」 僕を決して嫌ってはいないことも。 「…余裕のできるまで待つなんて、僕にはできないんだ」 「不二!俺は…!」 ぐいっ、と。 襟をひっつかんで、唇を引き寄せる。 「っ!」 がつん、と手塚の歯が唇にぶつかり、不二の口の中に鉄の味が広がった。 「不二!お前、何を…!」 「…したかっただけだよ」 ぺろり、と切れた唇の血を舌で舐め取って、不二は手塚を真っ向から見つめて言った。 ザァァァァァァ 「君が好きだ。僕にはもう、余裕なんてない」 ザァァァァァァ 「…すまない、不二」 ザァァァァァァ 「雨音が煩くて…聞き取れ、なかった」 ザァァァァァァ 「…そう」 君は、君の中の僕を殺すと決めたんだね。頑なに、それを貫こうと。 「僕を、殺すんだね?」 ザァァァァァァ 「不二…」 また君は、「聞こえない」と繰り返すんだろう。 「俺は…」 いいよ。 「この喉が涸れて、破れて、血を吹いても、僕は繰り返し叫び続ける」 君のことが、好きだと。 「…覚悟、しててよね」 僕を殺すのは、簡単なことじゃない。そう、それがどれだけ不可能に近いことなのか。いや、不可能そのものだということを。 それを君に、分からせてあげるよ。 ---------------------------------------------------------------- 2005.1.12 BACK |