風に煽られ、羽音のようにバサバサと音をたててマントがはためいている。 背後には、ばかみたいに大きな月。 片眼鏡では隠しきれない、聡明な瞳。 口は軽く弓状になって、小ばかにしているようであり、優雅なようであり。 ……それはまさしく、他の誰でもない…“怪盗キッド”その人だった。 「……どうした?オレを捕まえるんだろう」 紡ぎだされた言葉は、思っていたよりも大分若い声。 そして、尊大な響きを持っていた。 「そ…そう、よ。」 距離を詰めたい。詰めたいけれど、一歩でも動いたら、彼は羽ばたいてしまう。 そんな確信にも似た予感があって、は動くことができなかった。 「そのまま動かずにいても、オレを捕まえることができねーぜ?」 からかうような声音。今度は、正しく馬鹿にされている。 (中森警部が来るまでの時間稼ぎ…なんて器用な真似は、できそうにないか…) ここには来る筈がないと踏まれていた、廃ビルの屋上。 だがしかし、怪盗キッドはここへ降り立った。 そうして、捕まえてみせろと挑発してくる。 …あくまでも保険として配置されていた新人警官の自分には、荷が重い任務だ。 「あなたは…なんで、宝石を盗み続けるの?」 駄目もとで、あまりにもあからさまな時間稼ぎのための問いを投げてみる。 瞳を見ればわかる、彼はこんな陳腐な罠にかかるような人物ではない。 ……だが。 「オレが盗む理由、ね。……オメーはなんだと思う?」 予想に反し、彼は話に乗ってきた。 一瞬戸惑うが、これは好機だ。も応じる。 「わからない。…それに、今聞いているのは私なんだから、逃げないで」 強気なの姿勢に、キッドが「ヒュゥ」と軽く口笛を吹く。 「時間を稼ぎたいなら、乗っちゃえばいいのに。勝気な性格?ちゃんて」 「なっ!」 作戦がばれていたことに、名を突然呼ばれたことに、動揺がモロに出る。 そんなに、キッドがくつくつと笑いをこぼした。 「わっかりやすいのなー。オレはキッドだぜ?そんくらいでパニクったら到底捕まえらんねーよ」 (むう……) 確かに、その通りだが。 「だったらどうしろっていうの?諦めろ、って?嫌よ」 「ほー」 じゃあどうする気なのか、そう瞳が問いかけてくる。 私なんかの脳みそでは、とてもじゃないけど頭脳戦は勝てそうにない。それなら… 「やああああああああっ!!」 柔道には少々覚えがある。正面から突っ込んで、肉弾戦に持ち込んでやろうとした時だった。 「……バーロ。次会うときは、もうちょい大人になっとけよ」 耳元で聞こえた声に、ぞくりと背中が粟立った。 しくった、と思うと同時に、風音が耳元を通り過ぎていく。 ……一瞬のことだった。 屋上に放置されていたドラム缶の上に、彼はとん、と降り立った。 「お話にならねーな。話術・体術とも、もーちょい磨いてから出直してこい」 「うっ…」 なんで怪盗キッドにそんなこと言われなきゃならないのか、と思うが、最もである。 言い返せずにいると、彼は楽しそうに笑った。 「言い返さないのか?素直だな、は」 (図々しいなあ) 呼び捨てられたことにそう思うが、もはや何を言っても流されるのは目に見えている。 遠くから聞こえてきたパトカーの音に、キッドが瞬間、瞳を細めた。 ……すっ、と。 端正な顔立ちが、氷のような美しさを持った瞬間。 「…それではお嬢さん、今宵はこれにて。楽しかったですよ」 ゆっくりと頭を下げて…恭しい、わざとらしいほどに丁寧な挨拶をして。 ふわ、と顔を上げた瞬間。 …月の魔力か、彼の動作にあてられたのか。 端正な顔立ちが微笑を湛えた様は、恐ろしいほどに美しかった。 は、彼に見惚れている自分に気付き、愕然とした。 相手は怪盗キッド、そんな余裕はないというのに! 「待っ…!」 走り出そうとした瞬間、キッドは屋上を蹴って飛んでしまった。 …もう、追うことはできない。声が届くことも、ない。 「なに、あれ……」 頬が火照っていることは、気付かない振りをしておく。 …正直、中森警部が何故あそこまでキッドに固執するのかわからなかった。 みんなが、彼に夢中になる理由もわからなかった。 けれど、たった一度相対しただけで、それら全てがわかってしまったのだ。 (……なんて、厄介な人物。) ため息をひとつついて、ずるずると座り込んだ。 …彼の持つ、最大のマジックに見事に自分も取り込まれてしまったのだ。 そう、それは――――― 見るもの全てを、魅了する。 ---------------------------------------------------------------- BACK |