骨ばった大きな手だなと、思った。
この手で一体、何人を消してきたのだろう。
一体、どんな顔をしているのだろう。
そう思ったけれど、生憎顔を見ることはできなかった。
自分はまだ小さくて、見上げてもその表情を見ることは叶わなくて。
ただ、流れるような金髪は、とても綺麗だと。
そう、思った。





「………。」
頬の返り血を黙って拭い、息をつく。
かつて「人」だったモノは、足元に転がったままピクリともしない。
(任務完了…)
心の中で小さく呟くと、よろつく足でその場を離れる。いつまでもここにいたら、後始末部隊に自分まで燃やされてしまう。
…自分の生き方を肯定したことは、一度もない。
ただ、物心ついた時には、「その生き方」しか知らなかった。
知らなかったのだ。世界を、人を、世の中を。
(選択肢なんて…)
生死の二択以外、存在していなかったのに。
倉庫から出ると、間抜けなくらい明るい月が辺りを照らしていた。この海辺の倉庫は、間もなくひとつ残らず全焼するだろう。



有体な言い方をすれば、自分はいわゆる孤児だった。
とはいえ、「孤児だった」頃の記憶はない。捨てられていた自分は、たまたま犯罪者を育てることを生業にしている者に拾われた。そしてたまたま、その中でも突出した能力を発揮した。…自分の中の記憶は、このあたりから始まる。
そうして…たまたま、『彼ら』に目をつけられたのだ。
自分を迎えに来たのは、金髪をなびかせた長身の男だった。全身黒ずくめだったが、事前に自分を育てた男から「黒を好んで着ている」と聞かされていたために特に驚くことはしなかった。
「迎えに来た」
「はっ、ありがとうございます」
詳しくは知らないが、彼らに目をつけられることは『出世』というらしい。そのせいだろう、いつも横暴な態度しかとらない男の腰が、やたらと低い。
「名は」
「13号」
躊躇いなく言った私に、育てた男が慌てて釈明する。
「申し訳ないです、ジン様。俺は名をつけるのが苦手で」
(ジンさま)
そう呼ばれたということは、目の前の男は「ジン」というのだろうか。自分と比べると随分洒落た名に聞こえるが、そもそも自分以外の人間の名を聞いたのが初めてで、基準がよくわからない。
「…面倒だ」
ジンが小さく言う。次の瞬間、す、と自分の頭の上に手を置かれたのを感じ、私は反射的に戦闘態勢に入りかけた。頭を潰されると思ったのだ。

「…………え?」
そんな私に構うこともなく、その男…ジンは、繰り返した。
。数字では名なのか何なのか、わかりにくく面倒だ。いずれコードネームで呼ばれるようになるだろうが、それまでお前の名はだ」
骨ばった大きな手だなと、思った。
頭の上に手を置かれているこの状態が、いわゆる「撫でられて」いる状態だということを、私は知らなかった。…知るはずも、なかった。
自分はまだ小さくて、見上げてもその表情を見ることは叶わなくて。
ただ、流れるような金髪は、とても綺麗だと。
そう、思った。
「…ジンさま」
名をつけてくれた人の、名。
私はそのとき、初めて誰かの名を呼んだ。



「何をしているんだ」
「…ジン」
ぼんやりと海を眺めていると、不意に後ろから声をかけられる。ほんの一瞬前まで、何の気配もなかったというのに。
(恐ろしい人……)
彼と同じ位置までのぼりつめて、いつからか『様』をつけることはなくなって。
時期を同じくして、ジンが自分を名で呼ぶことはなくなった。コードネームを賜ったからだ。
「何も。……任務は完了。あとは後始末がきちんとされるか、確認していこうと思って」
「そうか……」
問題の倉庫を見ているのだろう。後ろを見なくても、それくらいはわかる。
…元々人の道から外れていた自分を、道が見えないところまで引きずっていったのは彼だ。
けれど、「名」という、人として最低不可欠のものを与えたのもまた彼なのだ。
「アリス」
…今、彼からは、コードネームでしか呼ばれることはない。
「なに」
ふ、と。
視界が暗くなり、海風にさらされていた身にあたたかさが灯る。
「いつまでも呆けているな。お前が倒れては、あの方にも迷惑がかかる」
「…………ん」
いつの間にか横にいたジンのコートに包まれて、小さく答える。こうしてもらうのは、初めてのことではない。
…以前、「何故、」と問うてみたことがある。
感情の欠如した環境で育てられた自分には、わからないことがとても多い。
それを理由にして問うたのだが、返ってきた返事は素っ気無いものだった。

「只の莫迦だろ。」

ジンにそういわれて、そんなことないと反論する勇気など持ち合わせておらず。
そもそも、この人が「莫迦」という単語を使ったこと自体がなんとなく新鮮で、そんなどうでもいいところに反応してしまう自分がおかしかった。
…結局答えは闇の中だったが、不思議と心が落ち着くので、それでよしとする。
「帰るぞ」
「…………うん」
ジンの車に乗り込むのと同時に、ものすごい轟音と共に倉庫が爆発した。
燃える炎を瞳に映したまま、私はゆっくりと目を閉じる。




…自分の生き方を肯定したことは、一度もない。
ただ、物心ついた時には、「その生き方」しか知らなかった。
これから先も、肯定することは出来ないし、これ以外の生き方はきっと知らないままだけど。

…私はこの人と、生きていく。



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