どこで待っていればいいかなんて、考えるまでもない。 汚れきった服を脱いで、 シャワーを浴びて、 濡れた髪を拭きながら自室に戻れば。 …ほら、いた。 「…こんばんは、お嬢さん。お風呂上りですか?水の滴るなんとやら、ですね」 「褒めても何もでないわよ。…どうやって髪を乾かそうか、迷っているんだけど」 すたん、と室内へ飛び降りると、キッドはマントを持って恭しく礼をした。 「…夜風にそのお手伝いをさせてみてはいかがですか?」 「あら素敵。お願いしようかしら?」 そして顔を見合わせると、同時にぷっと吹き出した。 「…落とさないでね?」 「おめーが重くなってなければな」 言って、を抱えてベランダの桟に立つ。 「なっ…それってセクハラだよー!?」 不満そうに言ったの声を合図にしたかのように、キッド…快斗は、夜の闇へと飛び出した。 「…街が眠ってる」 静かに滑空しながら、は下を見下ろして呟いた。 主だった店は明かりを落とし、ホテルの窓も明かりが点いているものは僅かだ。歩行者は皆無で、車も滅多に通らない。これならば、誰も自分たちに気づかないだろう。 「時間が時間だからな…降りるぞ」 少しずつ高度を落とし、やがて静かに着地したのは河原だった。 「…寒くねーか?」 腰を下ろし、風呂上りで、しかも薄着のまま連れて来てしまったに声をかける。 「ちょっとだけ…でも、平気だよ」 (上着持ってくるべきだったなあ…) 口ではああ言ったものの、実は結構肌寒い。しばし黙っていた快斗が、ふいにちょいちょいとを手招きした。 「?」 疑問符を浮かべながら近づくと、急に強く腕を引かれ、は盛大にバランスを崩した。 「うわっ!?」 「…こーすればいくらかマシだろ」 マントでを包み込み、ぽんぽん、と肩を叩く。 (さ…寒くはないけど…) 体的には。こちらのほうがありがたい。だが、この密着状態は精神的にものすごい緊張を与えた。 「……、いいか?」 「…え?」 つい、と真横の快斗を見やれば、 ……とても、寂しそうな顔をしていた。何か、快斗にとってとてもつらいことを、話そうとしている。…私のために。 「…うん」 こくり、と頷くと、快斗はぽつりぽつりと話し出した。 「…おやじが、さ…怪盗キッドだったんだ…」 おやじが、キッドでさ。 あいつらに、殺されたんだ。 で、あいつらが探してるのが、 パンドラの石ってやつで。 不死の力を持ってるんだと。 月にかざすとわかるんだよ、パンドラかどうかが。 オレは、あいつらより先にそれを見つけて、 ぶっ壊す。 …そのために、キッドやってんだ。 「…おしまい」 そう言うと、快斗は器用にマントだけ外し、すたすたと川へと近づいていった。ゆらゆらと水面に映る月は、朧気で儚い。そこへ向かって、小石を放り投げる。 ちゃぷんっ… 水面に映った月は、一瞬で消え去った。 「…あの水に映る月を盗れってほうが、まだ現実的だよな…」 そう呟いて、再び小石を投げ込む。 (…らしくない、なあ…) は、マントを纏ったまま快斗のほうへと歩み寄った。 「…快斗、私ね、なんで話してくれないのかなあって、ずっと思ってて…でも、」 …言葉が、出ない。 快斗は今、自分のために話してくれたというのに。つらく、苦しく、哀しい思い出も。 どうして自分はこんなに不器用なんだろう。 どうして気の利いたせりふが言えないんだろう。 どうして。 なにも、なにも…言えないよ…! 「なんだよ、ったく…おめーはすぐ泣くんだからな…」 「…だってっ!」 ばっ、と見やれば、ぱちりと快斗と目が合った。 …そして、気付く。 快斗は、不可能だなんて思っちゃいない。意思の強い、まっすぐな瞳。そこには、一点の曇りだってなかった。さっきの言葉は…本心から出たものじゃ、ない。 ほんの少し、弱気になっていただけなんだ。 (…だったら) 私がなすべきことは、決まってる。 「…快斗」 「ん?」 「キッドなんてやめて!」 「え…」 拒否、サレタラ? 受ケ入レテ、モラエナカッタラ…? 「…っ!」 当然、受け入れてくれるはずだと、心のどこかでそう思っていた自分が…驚愕と、ショックで打ちのめされたのを感じる。 (っ、でも…) たとえ、それでも。 「…オレは」 ぐっ、と唇を噛み、に向き直った時、ふいにが口を開いた。 「…って、私が言ったらどうする?」 「……は?」 ふわ、とマントを広げ、風をめいっぱい受けてはためかせる。そのまま川辺へと小走りに向かい、くるりと振り返った。 「ねえ!私がやめてって言ったらやめるの?」 「…やめねー、な」 快斗のその言葉に、は満足したように言った。 「…でしょ?ね、だから快斗はその信念を貫き通して。私は…邪魔にならないくらいの距離で、快斗のそばにいるから」 そう。 私にできることは、これだ。 「…ね?」 …ああ。 オレは、なにを心配していたんだろう。 …おめーは、そういうヤツだったよな。 「…サンキュ。」 返した言葉は、たった一言だったけれど。 それだけで、十分だった。 「うん!」 月を背に、白いマントをはためかせているが… どうしようもなく、愛おしかった。 ---------------------------------------------------------------- 2004.8.9 → BACK |