月下の攻防 4





どこで待っていればいいかなんて、考えるまでもない。
汚れきった服を脱いで、
シャワーを浴びて、
濡れた髪を拭きながら自室に戻れば。
…ほら、いた。





「…こんばんは、お嬢さん。お風呂上りですか?水の滴るなんとやら、ですね」
「褒めても何もでないわよ。…どうやって髪を乾かそうか、迷っているんだけど」
すたん、と室内へ飛び降りると、キッドはマントを持って恭しく礼をした。
「…夜風にそのお手伝いをさせてみてはいかがですか?」
「あら素敵。お願いしようかしら?」
そして顔を見合わせると、同時にぷっと吹き出した。
「…落とさないでね?」
「おめーが重くなってなければな」
言って、を抱えてベランダの桟に立つ。
「なっ…それってセクハラだよー!?」
不満そうに言ったの声を合図にしたかのように、キッド…快斗は、夜の闇へと飛び出した。





「…街が眠ってる」
静かに滑空しながら、は下を見下ろして呟いた。
主だった店は明かりを落とし、ホテルの窓も明かりが点いているものは僅かだ。歩行者は皆無で、車も滅多に通らない。これならば、誰も自分たちに気づかないだろう。
「時間が時間だからな…降りるぞ」
少しずつ高度を落とし、やがて静かに着地したのは河原だった。
「…寒くねーか?」
腰を下ろし、風呂上りで、しかも薄着のまま連れて来てしまったに声をかける。
「ちょっとだけ…でも、平気だよ」
(上着持ってくるべきだったなあ…)
口ではああ言ったものの、実は結構肌寒い。しばし黙っていた快斗が、ふいにちょいちょいとを手招きした。
「?」
疑問符を浮かべながら近づくと、急に強く腕を引かれ、は盛大にバランスを崩した。
「うわっ!?」
「…こーすればいくらかマシだろ」
マントでを包み込み、ぽんぽん、と肩を叩く。
(さ…寒くはないけど…)
体的には。こちらのほうがありがたい。だが、この密着状態は精神的にものすごい緊張を与えた。
「……、いいか?」
「…え?」
つい、と真横の快斗を見やれば、
……とても、寂しそうな顔をしていた。何か、快斗にとってとてもつらいことを、話そうとしている。…私のために。
「…うん」
こくり、と頷くと、快斗はぽつりぽつりと話し出した。
「…おやじが、さ…怪盗キッドだったんだ…」


おやじが、キッドでさ。


あいつらに、殺されたんだ。


で、あいつらが探してるのが、


パンドラの石ってやつで。


不死の力を持ってるんだと。


月にかざすとわかるんだよ、パンドラかどうかが。


オレは、あいつらより先にそれを見つけて、


ぶっ壊す。


…そのために、キッドやってんだ。



「…おしまい」
そう言うと、快斗は器用にマントだけ外し、すたすたと川へと近づいていった。ゆらゆらと水面に映る月は、朧気で儚い。そこへ向かって、小石を放り投げる。

ちゃぷんっ…

水面に映った月は、一瞬で消え去った。
「…あの水に映る月を盗れってほうが、まだ現実的だよな…」
そう呟いて、再び小石を投げ込む。
(…らしくない、なあ…)
は、マントを纏ったまま快斗のほうへと歩み寄った。
「…快斗、私ね、なんで話してくれないのかなあって、ずっと思ってて…でも、」
…言葉が、出ない。
快斗は今、自分のために話してくれたというのに。つらく、苦しく、哀しい思い出も。
どうして自分はこんなに不器用なんだろう。
どうして気の利いたせりふが言えないんだろう。
どうして。
なにも、なにも…言えないよ…!
「なんだよ、ったく…おめーはすぐ泣くんだからな…」
「…だってっ!」
ばっ、と見やれば、ぱちりと快斗と目が合った。
…そして、気付く。
快斗は、不可能だなんて思っちゃいない。意思の強い、まっすぐな瞳。そこには、一点の曇りだってなかった。さっきの言葉は…本心から出たものじゃ、ない。
ほんの少し、弱気になっていただけなんだ。
(…だったら)
私がなすべきことは、決まってる。
「…快斗」
「ん?」
「キッドなんてやめて!」
「え…」


拒否、サレタラ?


受ケ入レテ、モラエナカッタラ…?


「…っ!」
当然、受け入れてくれるはずだと、心のどこかでそう思っていた自分が…驚愕と、ショックで打ちのめされたのを感じる。
(っ、でも…)
たとえ、それでも。
「…オレは」
ぐっ、と唇を噛み、に向き直った時、ふいにが口を開いた。
「…って、私が言ったらどうする?」
「……は?」
ふわ、とマントを広げ、風をめいっぱい受けてはためかせる。そのまま川辺へと小走りに向かい、くるりと振り返った。
「ねえ!私がやめてって言ったらやめるの?」
「…やめねー、な」
快斗のその言葉に、は満足したように言った。
「…でしょ?ね、だから快斗はその信念を貫き通して。私は…邪魔にならないくらいの距離で、快斗のそばにいるから」
そう。
私にできることは、これだ。
「…ね?」


…ああ。

オレは、なにを心配していたんだろう。

…おめーは、そういうヤツだったよな。


「…サンキュ。」
返した言葉は、たった一言だったけれど。
それだけで、十分だった。
「うん!」
月を背に、白いマントをはためかせているが…

どうしようもなく、愛おしかった。




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2004.8.9



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