「八葉と…?」
明日が最後の戦いになる。あかねがそんな報告をしにきたのは、夜も更けた時刻だった。
「うん。…私一人じゃ、ここまでは来られなかった。天真くんや詩紋くん、ちゃん、それに八葉がいてくれたおかげだよ」
「……私は、何も」
本当に何も、していないのに。
目を伏せたの手を取ると、あかねは首をぶんぶん振って否定した。
「違う。…ちゃん、私のこと応援してくれたでしょ?それに、ちゃんとまたマック行ってバカな話したいとか、すごく心の支えになったんだよ」
「……ぷ。マック?」
堪えられず吹いたに、あかねも笑って返した。
「うん。絶対行こう!…で、最初に戻るんだけどね、ちゃんにも八葉に会っておいてほしいなあって。最後だし…」
「わかった。あかねちゃんがそう言うなら、会うよ」
「ありがとう!じゃあ、明日の朝ね」
「うん」
おやすみと手を振って立ち去ったあかねは、なんだか随分立派に見えた。…きっとあかねは、選ばれるべくして選ばれた存在なのだ。
(……結局)
さよならも言えなかったな。
友雅と最後に会ったのは、三日前の晩。どこかいつもと違うように感じたのだが、聡明なあの人のことだ。何かを察知していたのかもしれない。
「………あ、」
この文の山、どうしよう…。
持ち帰りたくとも、鞄などはない。かといって残して、自分以外の誰かに読まれるのもそれはそれで嫌だった。
「………。」
ぎゅ、と握りしめ、胸に当てる。その全てを忘れまいとするように。
そうしてから、は静かに行灯の火へ手を伸ばした。



「紹介するね。左から順に、頼久さん、永泉さん……」
…本当に、自分が石になったようだった。
「泰明さん、鷹通さん、イノリくん。それから…」
揺れる、たおやかな髪。底の見えない、翠色の瞳。…大きな牡丹の、直衣。
「友雅さん」
指一本動かすこともできず、まばたきも、呼吸すら。
いつまでも視線を向けていたら、あかねに不審に思われてしまう。全力で目を逸らすと、精一杯の笑みを浮かべた。
「……あかねちゃんを、よろしくお願いします。」
かろうじてそれだけを言うと、そのまま逃げるようにしてその場を去った。いや、実際逃げていた。
(なんで……!)
八葉だったなんて八葉だったなんて。そんなこと一言も言わなかったじゃないか、いや、自分も聞いたりはしていないが、それでも、そんな。
(神子が、いるじゃない)
異界より来た、大切な守るべき人。事情を知っているのも、八葉なら当たり前だ。自分には、珍しさすら感じていなかっただろう。そう、本当に、ただの戯れ。
こぼれる涙もそのままに、走り続ける。…追ってくる足音は、なかった。



(こんな形で)
彼女に、知られたくはなかった。
自分を見た瞬間の、あの表情。裏切られたような、全てに絶望したような。…自分一人の身勝手な気持ちで近付き、こうした形で彼女に再会したために崩してしまった、均衡。
(なんということをしてしまったんだ…)
掻き乱したのは、自分。だが、これで全てが終わるのだ。もし今追いかけて、致命傷を負わせてしまったら。
「……っ!」
そんなのは体裁だ。本当は今すぐに追いかけないのは、八葉としての自分が引き留めているから。京をどうするのだと訴えてくるから。
ぎり、と奥歯をかみしめ、駆け出しそうになる足を縫い留める。

(どうして、)
(何故、)

こんなに苦しむくらいなら。

(そんなこと思いたくない)
(そんな考えは持ちたくない)

傷つきたくない傷つけたくない忘れたくない忘れたい想いたい想いたくない。
…嗚呼、いっそのこと、出逢わなければ。



辿った記憶、その果てに居るのは

       ただ一人だというのに





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